初期のゴルフ場は海に面した荒れ地がほとんどでした。
羊の放牧に適していた場所ですから、恐らくスコットランド特有のヒースという濯木の生い茂る砂地だったと考えられます。
この後、世界のゴルフのメッカとされる「セント・アンドリュース」や「ターンベリー」などの有名なコースがスコットランドに造成されていきます。
しかし各コースとも造成というよりは、北海から吹きつける想像を絶する風雨によってつくられたアンジュレーションをそのまま活かし、必要な部分に芝を張っていったというのが本当のところでしょう。
コースもちょっとした風雨によって変形するため、グリーンキーパーは大忙しだったと当時の文献には伝えられています。
あるとき、地元のゴルフ愛好家がコースの原型を求めて測量を行なったところ、どう考えても人智の及ばない造形が現れ、彼は思わず天を仰いで「神のつくり給いしリンクス!」と叫んだそうです。
これらのリンクスは現在も維持され、全英オープンの象徴的な存在になっています。
自信と誇りを示す証拠として、彼らは全英オープンを「British Open(ブリティッシュ・オープン)」とは呼ばず「The Open(ジ・オープン)」と呼びます。
世界で最も権威のある大会は全英オープンのみである、と誇示しているのです。
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ゴルファー先駆者
日本で最古の公式競技は何だったと思いますか?
ゴルファーとしては知っておいて損はないと思います。
日本オープン選手権?日本プロゴルフ選手権?
いいえ、意外なことに「日本アマチュア選手権」なんです。
これは日本だけでなく、ゴルフ発祥の地・スコットランドでも、現在もっとも盛んにゴルフの行われている国・アメリカでも「アマ」の大会が公式ゴルフ競技なんです。
アマチュアゴルファーの一人として、何か感慨深げなものがあります。
第1回の大会は日本オープンが始まる20年前の1907年に神戸ゴルフ倶楽部(六甲コース)で行われています。
しかし第11回大会まで優勝者はおろか、上位を外国人勢が独占、"日本アマ"とはいえ、在日の外国人ゴルファー向けの大会といったようでした。
日本人の参加も第10回大会からで、初の日本人優勝者を出したのは第12回大会、場所は東京ゴルフ倶楽部(駒沢コース)。井上信選手が日本人初の日本アマチャンピオンになりました。
また、このときまで現在の18ホールのコースはなかったそうです。
初めて18ホールの本格的なコースは井上選手の優勝から4年後の1922年、程ヶ谷カントリー倶楽部が誕生し、井上選手は初代の名誉書記に選ばれました。
ゴルフの本場、アメリカの大会でプロ・アマを通して日本人で初めて優勝したのが赤星六郎選手。
1924年のノースカロライナ州・パインハーストで行われたスプリングトーナメントでのことで、予選を5位で通過、決勝ラウンドのマッチプレーで逆転に次ぐ逆転で優勝をもぎとったそうです。
優勝のコメントがまたいい。
「実をいうと、知り合いのプロゴルファーと鴨狩りに行ったんだけど、その帰り、パインハーストで競技会があるというじゃない。
のぞいてみようかという軽い気持ちでエントリーしたんだ。
ダメだろうと思っていたら予選を5位で通ってしまった。
それからいつ負けるかと毎日やってたら、とうとう最後までいって勝ってしまった。
自分でもびっくりした。」
(「日本のゴルフ100年」久保田誠一著 日本経済新聞社発行 より)